もうすぐ夜の7時。ほとんどの社員は既に帰宅している。サイゴンセンター10階にあるオフィスから見るサイゴンの夜景はとても綺麗だ。目の前にはビテクスコタワーが高くそびえており、ここからはサイゴンの変化と躍動を感じることができる。

そして隣にはスマートな雰囲気をもつ男が座っている。この男も様々な変化を乗り越えてきたはずだ。彼に語ってもらうことにしよう。

彼は自分の経歴を話し始めた。良い家柄の出身で、大学に通い建築を学んでいたそうだ。但し、二年生の時、自分に建築が合わないと感じ、もう一度ITの大学に入り直した。その時、「プログラム」という友達に出会った。

しかし、人生において簡単に手に入れたものは、簡単になくしてしまう。入学して一年後、学校に行くのが嫌になり、ゲームに夢中になってしまった。それに伴って大学の成績がわるくなってしまい、まるで坂を転げ落ちるかのように怠け者になっていった。今考えても、当時のことは忘れられない時期だ。

たぶんあの事件がなければ、ずっとゲーム生活から脱出できなくて勉強もやめてしまっていたかもしれないという。そして、小さく息を吸って、小さな声でゆっくりこう言った。「父親が亡くなったんだ。交通事故だった。」。

「母親が悲しみのため入院し、家族の財産は母親と6名の兄弟のため全て売り払った」。人生には事件がつきものだが、それを機に成長する人もいれば、人生を諦めてしまう人もいる。長男であるKietは初めて自分の責任を感じ、それ以降、家族である母親と弟達を自分が支えていくと心に誓った。

父親がいなくなったKietは強くなる必要があった。お金が良ければどんな仕事にでも就いた。それは2008年の話だった。幸いなことにKietの弟は優秀で無事に大学を卒業して良い会社に入った。その時、Kietの心には「また学校を通いたい」という情熱が沸いてきた。そうしてやっと大学に戻ったKietは、言葉では表現できないほどの喜びを感じた。

「大学に戻った時の感じはすごく素敵だった」とKietは言った。ずいぶん昔の話だが、まだ彼の目から当時の喜びを感じることができた。信念を失わない限り、人生に負けることはないだろう。

但し、若い弟達を大学に通わせることは Kietにとって大きな経済的負担であった。二年生の時はとうとう学費がなくなって大学を諦めそうになったこともあったそうだ。

朝パンを買ってバスの切符を買った後には、1ドンもない時が多かったという。Kietは空手が大好きだった。プログラミング以外では、空手を趣味としている。

色んな困難を乗り越え、やっとKietは大学を卒業した。

卒業後、大学三年生からアルバイトをした経験があったため良い会社に受かったが、試用期間が終わったら辞めてしまった。理由は「会社の進化が遅かった」から。二番目の会社は日系企業だった。1年間働いた後、Kietは「日系企業は面白くない!日本人とベトナム人のコミュニケーションがない」という理由で辞めた。次にどんな会社が自分にあうのだろうと思いながら二社目を退職したのだった。

この時期のKietは日系企業に興味を持たなくなっていた。日系企業は「シェア文化がなく、面白くなく、人と人の関係が薄い」と考えていたそうだ。三社目はどうなるんだろう?と、Kietは心配だった。

ベトナムには「自分が嫌いなものを受け取る」ということわざがある。まさにその通りで、三社目会社も日系企業だった。それはTechbase VietNam (TBV)の前身である「Yahoo! Labo」だった。「もう嫌!」と思っていたはずなのに、もう一度トライしてみようという心の声が聞こえ、日系企業に入社した。Yahoo! Laboで日本人の駐在員と触れ合って、「あ!日本人はこんな性格だったのか」と考え直した。日本人に対する考えを改めたことは正しい判断だったと今では笑って話せる。もし、皆さんがどんなに日系企業が嫌いであっても、Kietと同じように考え直してチャレンジしてみませんか?

時間が経過しYahoo! Laboは、Techbase VietNamという会社になった。それ以降、大変な仕事を担当する中で、Kietは徐々に成長できた。最初のプロジェクトはオークションだった。大きな責任とプレッシャーがあったが、「暇」なことが嫌いなKietにとってはちょうど良く、逆に上手にチームをマネージメントできた。当時のプロジェクトは記載されている仕様が少なくて困った事があったが、当時のマネージャーと協力することで徐々にチームの成果を出していった。

Kietが育ててきたオークションチームのメンバーは、誰でもKietのことを尊敬していて大好きだ。長い間Kietと一緒に働いているHoang君はこう言った。

Kietさんのマネージャーとしての仕事ぶりは素晴らしい!みんなをしっかりサポートしてくれるし、同時に2、3、時々4つものプロジェクトを担当して、仕事量が多くて大変なはずなのにすごく落ち着いている。Kietさんは本当に尊敬できる、貴重な人だと思います。

さて、現在の話に戻ろう。Kietは「マネージャーには日本語力が必要」という前例を、能力と経験によって覆した。Kietは一般エンジニアからリーダー、リーダーからマネージャーと昇格し、自分の能力を証明したのである。

どうやったら大規模なチームをマネージメントできるの?と聞くと、Kietが微笑んだ。「『10名のチームのリーダーになってくれない?』と最初に白川さんに打診されたとき、僕は『いえ、小さいサイズからで良い』と答えたんだ」。そう、成功の秘訣は彼は小さく始めて大きく育てたことだった。

Kietはメンバーが多ければ多いほどチームのマネージメントが厳しくなると分かっている。一人では全てのチームタスクを担当できるわけはないので、各メンバーに適したタスクを割り振ることが大切だ。あと、時間があるときは、自動化ツールを導入し、毎日の繰り返しや、つまらない仕事内容を減らしくことも大切だ。その毎日リピートする仕事に「Stupid」とニックネームをつけた。

人間はロボットように「Stupid」に対して我慢ができないので、Kietは人間をサポートするツールを探し、Tracking Jira、Work Breakdown System (WBS)、 Collect Line Of Codeといったツールを導入した。このおかげで、Kietだけでなくメンバーも新しいことを調査する時間を確保でき、自分達の能力を上げることができた。

結果としてKietは自分に代わるリーダーを育てる事ができた。今は彼らと共に二つのチームをマネージメントしているそうだ。今回、良い成果を出してマネージャーになったのだが、Kietはもっともっと頑張らなきゃと思っているそうだ。彼は自分がTBVの若いエンジニアの憧れであることを知らないだろう(笑)。でもそれは良いことだと思う。自分のために、会社のために、もっと勉強をしてスキルと経験を高めて欲しい。

最後にKietは言った。TBVの若いエンジニアはどんな仕事でも目標を立てる必要があり、さらにその上で自分自身の目標を再確認した方が良いという。また、目標は自分だけの物ではなく、チームメンバーの物である事も考えなければならない。あと、「情報をシェアしたいという気持ちを必ず持って欲しい」とKietは言った。自分だけが知っていても不効率なので、他の人にシェアして知識を広げることが大事だ。そう言いながらKietは優しく笑った。将来の話を聞くと、「今の目標はお金ではなく自分の進むべき道を実現することだ。この道を自分の足で休まずに歩こうと思う!」

短い時間だったが、Kietから彼の人生と思いをシェアしてもらって、私も彼のことを理解するようになった。彼はもう帰宅したが、私はまだオフィスに残っている。Kietを紹介する文章をこれから書き始めようかと思いつつ、外の夜景を見ている。「怪盗~改良~」というタイトルは、、格好よくないか・・・と苦笑いしながらキーボードを打ち始めた。

  • 記事  :Dat Nguyen
  • 翻訳  :Hoai Nho Do
  • 写真  :TBV Camera Team
  • デザイン:Duc To

2018/11/28